久しぶりの日記です。
ここんとこ、ずっと修士論文で忙しくって、あんまりネットもできなくって、かなりご無沙汰してました。今も時間が全然ないんだけど、これだけは記録に残しておこうと思って。(言い訳くさい)

うちの大学にクリントン前大統領がやってきました。開学50周年記念事業の1つとして、読んだらしい。ここまで言うと、私がどこの大学にいるかわかってしまうんですが。一応、そこの院生です。
のんびり会場入りしてしまったんで、席が後ろのほうになってしまったのが残念。でも、スクリーンでアップされてたんで、全く見えないということはなかったけど、やっぱ生でアップで見たかった。だって、講演に参加希望した理由の、本当の部分はナマでクリントンが見られるていう、本当にミーハーな気持ちだったし。希望理由はすんごいマジメなこと書いてたけどね。
もちろん、講演はすべて英語。でも、BS2でやってるCNNニュースの通訳の人が同時通訳して、それをイヤホンで聞けたんで、言葉には何の問題もナシ。でも、ナマ声も聞きたいと思って、両方に意識してたら、何を言ってるのか日本語のほうもさっぱり。聖徳太子にはなれそうにもないようです(笑)

講演の内容は、テーマが「21世紀の安全と平和」についてうんたらかんたらだったので、世界平和のために必要なのは、「共用と責任」ということらしい。価値の共用、そしてそこから生まれる事象に対する責任。それがなければ、平和は訪れないというこをいってるんだろうと思った。ブッシュ(ジュニア)さんの対テロ戦争についてはどう思ってるんだろうと思ってたけど、それについても少し話してたね。対テロ戦争には、どうやら反対はしてないみたい。9・11があれば、クリントンさんでもアフガンに攻撃はしたんだろうな。ユーゴ空爆をした人だしね。でも、きっとその後のことはやり方は違うんだろうな。だから、それ以上のことは全く言わなかったし。クリントンさんは米軍を派遣しても、「保安官」だったし。そこがすごく評価されてるし。
それに、ほかの部分でブッシュ政権を暗に批判してた。京都議定書にせっかく調印したのに、ブッシュさんはそれを否定した。アメリカだけの発展のために。自分の国だけの都合だけではどうにもならない、ということはわかっているはず。それが価値の共用なのだ。そして、それが「未来の共用」に繋がると言っていた。9・11が起こった理由をしっかり考えなければ、これから先は見えないのは、今の世界情勢を見れば明らかであると思う。イスラム教のコーランにも、人間には違いがあってあたりまえ、とあると言う。だから人生は面白いんだ、とクリントンさんは言った。
今回のパンフで初めて知ったんだけど、クリントンさんは、記録的な財政赤字を克服して、記録的な財政黒字に転換させた、すごい大統領だったらしい。日本にいたら、普段わかるのは外政ばっかりで、内政なんて伝わってこないしね。小泉さんもそこをみならえばいいんだけど、小泉さんはレーガンとかブッシュ(親)の真似をしてる。だから、今のブッシュさんと協力できるし、ブッシュさんが小泉さんの構造改革に賛成してるのはわかる。しかし、真似だけでいいものか。
講演が終わった後、学生代表からのいくつかの質問がなされて、その1つの答えにクリントンさんは言った。
「一人一人の力なんて大したことはない、自分一人がどうこうしたって世界は変わらない、ということはありえない。世界は必ず変わる、変えることができる。ただ、それには大変な時間がかかる。だが、無理なことでない」
クリントンさんは、17歳のとき、ホワイトハウスで時の大統領ケネディに会ったとき、大統領になりたいと思ったらしい。
人にはそれぞれ大小はあるが、夢がある。いや、持つべきであるのかもしれない。夢というが、夢でなくても希望でもいい。それをもって、それを目標にがんばっていけば、世界は良くなる、そう思えた講演だった。そして、それには「共用と責任」が欠かせないのだろう。
自分にもいくつかあてはまることが多かった。

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